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「PLUTO 5」―鉄腕アトム「地上最大のロボット」より

Pluto ●浦沢 直樹 × 手塚 治虫 著
●小学館
●197ページ
●A5判
●http://comics.shogakukan.co.jp/

  「アトムは失敗作だよ・・・・・」
 「人を殺すかもしれないほどの強い憎悪こそが・・・・・電子頭脳を育てるのだ」
 「間違う頭脳こそが完璧なんだ」

 第5巻は、そう吐き捨てた天満博士の言葉で終わった第4巻の続編である。

  同作品は、『鉄腕アトム「地上最大のロボット」』の外伝として構成されたものだが、浦沢直樹氏のオリジナル作品に仕上がっている。
 主役は、本編ではサブキャラクターだった、ユーロポールの特別捜査官「ゲジヒト」に設定されている。彼は、第39次中央アジア紛争の際につくられた、世界最高性能ロボットが次々と殺害(破壊)される事件と、第39次中央アジア紛争・ボラー調査団メンバーの連続殺人事件の両方を追う。
 ゲジヒトも世界最高性能ロボットの1体であり、これらは相互抑止力として存在していることが、世界規模の陰謀があることを感じさせる。

 殺害現場には共通して、遺体の頭部に角のようなものが突き立てられている。また、局所的な竜巻の跡以外は具体的な痕跡が残されていない。人の痕跡も見当たらない。彼は、「ロボットは人間を傷つけたり殺したりできない」という「ロボット法第13条」に抵触する可能性を感じ取り、8年前に人を殺した高知能ロボット「ブラウ1589」への接触を試みる。

  ところが、その接触を通じて、また、たびたび見る夢を通じて、自身のメモリーチップから忌まわしい記憶が消されていることに気づく。
 捜査過程で人を殺していることを・・・・・。
 また、それは激しい憎悪からとった行動であることにも感じ始める。

  第5巻は、彼がその驚愕の事実に気づき、さらに、破壊を繰り返すプルートゥが激しい憎悪から生まれた存在であることを知るところで終わる。

 最初に破壊された高性能ロボット「モンブラン」と「ノース2号」はロボットの形態をしているが、その後破壊される、格闘技ショーに登場するレスラーロボットとゲジヒトは人間的な形態を持つ。オリジナル作品の主役である「アトム」はそれ以上に人間的であり、完璧に人間の感情を模している。施された涙腺により、巧みに涙さえ流すこともできる。
 本作品では、より人間であるほど高性能なロボットとして位置づけられており、アトムはその最高傑作として存在する。
 しかし、冒頭の通り、天馬博士から言わせれば完全なロボットではない。

 アトムはプルートゥとの闘いに敗れ、昏睡状態に陥る。“混沌”とも言うべき昏睡から目覚める唯一の手段として、天馬博士は「怒り」「悲しみ「憎しみ」などの注入という、感情を偏らせることを暗示する。それは同時に、「怒りんぼ」「弱虫」「泣き虫」「努力家」「勉強家」、または「天才」「殺人鬼」にしてしまう可能性があることもほのめかす。

 この感情の偏りを人に当てはめるなら、おそらく性格や人格と言えるものなのだろう。それは人を成長させるファクターである反面、間違いを起こす要因なのかもしれない。
 冒頭の天馬博士の言葉から想像するに、そうしたものを備える存在ことが人であり、完璧なロボットなのであろう。

 謎に満ちたストーリー展開と、人とロボットに潜む憎悪の感情が重苦しい雰囲気をつくり上げ、作品としての奥深さを感じさせる。それだけで十分に楽しめる作品であるが、プルートゥの正体やゲジヒトに潜む憎悪の感情を知るに従い、ロボットとは何か? 人とは何か? を考えさせられるものにも仕上がっている。
 次巻では、ゲジヒトがプルートゥを追い詰め、“悲しい真実”を知るようだが、果たして、そこで天馬博士の、また浦沢氏のロボット観が明確に示されるのか、気になるところである。

おもな目次
Act.32 記憶の傷跡の巻
Act.33 勝者、賢者、生者の巻
Act.34 神の選択の巻
Act.35 応答せよゲジヒトの巻
Act.36 憎悪の追跡の巻
Act.37 悲しき訪問者の巻
Act.38 六〇億の混沌の巻
Act.39 獄中の王の巻

2007年12 月 5日 (水) | 個別ページ

「ロボットのいるくらし」

Photo ●ロボLDK実行委員会 編
●日刊工業新聞社
●199ページ
●四六判
●http://pub.nikkan.co.jp/


「この炊飯器なら、うまいメシ食えそうや!」
「この液晶テレビなら、わが家のリビングにピッタリや!」

 普段、モノを購入するとき、生活シーンをイメージしながら話が展開される。
 しかし、ロボットに限っては、そのような話は展開されない。ロボットが暮らしの中でどのように関わってくるのかがまったく見えていないからである。確かに、ASIMOのような高性能なロボットがわが家にやってきても、生活の中にどのように馴染んでくるのかは皆目検討がつかない。

  神奈川県が企画した「ロボLDK」は、こうした問題意識から始められたコンテストである。
 「暮らしの中で、ロボットでこんなことができたらいいなあ~」という暮らしの中の1シーンを、ロボットとのかけ合いで(寸劇形式で)表現する。利用者(生活者)自身から、具体的なロボットのアプリケーションを提案してもらうことを重視しているのが特徴である。

  ロボLDKとは「リビング(L)」「キッチン(K)」「ダイニング(D)」にロボットを掛け合わせた造語である。LDKに代表される建物や家屋の使い勝手と同様に、ロボットという要素も加味し、ロボットのいる暮らしを考えようという意味が込めているという。

 本書は、ロボLDKにかかわる専門家が、それぞれの立場からロボットのいる暮らしを考察し、そこで求められる条件を整理したものである。具体的にはデザイン、インターフェース、教育、知的財産、安全、行政などの立場から論旨を展開している。それを整理したものとして、次の「ロボLDK三原則」を提示している。
 第一条 ロボットは、人の役に立つ存在でなければならない(有用性)
 第二条 ロボットは人が安心して付き合える存在でなければならない(安全性)
 第三条 ロボットは、実空間において人と関わり合うことで、第一条、第二条を実践する存在で亡ければならない(身体性)
 ただし、これらはあくまで条件であり、具体的なロボットとの暮らしについては、引き続き考えていかなければならない。また、それがロボLDKを継続する意味でもあるようだ。

 本書を読むことで、有益なロボットのアプリケーションを見出すことにはつながらない。
 しかし、これまでなされてこなかった、生活者の視点でロボットを考えることの重要性を気付かせてくれるし、そうしたきっかけを与えてくれる。

おもな目次

1章 ロボットと暮らしてみたら
2章 ロボットは役に立つ
3章 ロボットは人にやさしい
4章 ロボットとコミュニケーション
5章 ロボットはいろいろな形をしている
6章 ロボットと教育
7章 ロボットと知財
8章 ロボットLDK三原則とこれからはじまるロボットのいるくらし
巻末資料 ロボットに対するアンケート集計結果

2007年11 月21日 (水) | 個別ページ

「ユビキタス技術 ネットワークロボット -技術と法的問題-」

Photo ●土井 美和子・萩田 紀博・小林 正啓 共著
●オーム社
●175ページ
●A5判
●http://www.ohmsha.co.jp/


 「ユビキタス」とはラテン語を語源としており、もともとは「神はどこにでもいる」という意の宗教用語である。
 現在では「存在しない場所はない」という意味で用いられている。つまり、さまざまなものにコンピュータを組み込んでネットワークを広げるとともに、それぞれが有する情報を相互に送受信する技術を指している。

 そして、「ネットワークロボット」とは、ユビキタスネットワーク技術を利用し、人が生活する場所において必要な情報を的確に提供するロボットのことを指す。
 これには「ビジブル型」「アンコンシャス型」「バーチャル型」の3タイプのロボットがあり、これらをネットワークを介して協調・連携することにより、ロボット単体ではできない機能の実現を目指している。

 ビジブル型とは目や腕、首などを持つヒューマノイドロボット、犬やアザラシなどのペット型ロボットのことである。アンコンシャス型は壁や天井に設置された据置き型カメラやセンサ、またはウェアラブルコンピュータを、バーチャル型はパソコンや携帯電話の中のキャラクターエージェントをそれぞれ指す。
 それぞれが情報を送受信する小型コンピュータを搭載しており、アンコンシャス型が、どこかで異常を発見した場合、その情報をビジブル型やバーチャル型に知らせることで、利用者に最新の情報を的確に伝えることができる。

  同技術は、現在「ネットワークロボットフォーラム」(NRF)を中心に標準化作業が進められており、2008年頃をメドに開発を終える予定になっている。
 本書では技術解説に加え、その普及に伴い懸念される社会的な問題にも触れている。

 例えば、常に情報が飛び交うことになるため、個人情報など他人に知られたくない情報が配信されることもある。不正に情報が流出してしまった場合は、プライバシーを著しく損ねてしまう。
 しかしながら、筆者らはそうした責任をロボットに転嫁すべきではなく、排除する方向で考えてはならないと述べている。なぜなら、ロボットは人に管理されるものであり当然、過失は人が追うべきだからである。また、多くの事故は設定時の不備により発生しており、仮にロボットでも事故が発生したとしても、その過失はやはり人にある。

  したがって、どの程度までロボットに依存するかに問題があると主張している。
 例えば、Googleなどの検索エンジンのように、必要なときに必要な情報を引き出せるツールとして使用すれば大きな問題にはならないわけで、このように道具としての関係性を保ち、人が意思決定を行うことの重要性を述べている。

 すでにユビキタスネットワーク技術は、われわれの生活の中に入り込みつつある。そして、ネットワークロボットも入り込むことになるだろうが、われわれは、それとどのように接すべきか、また、どのような存在あるべきかを考えさせる書である。

おもな目次
序章:ネットワークロボットの諸問題
1章:ネットワークロボットとロボットの違い -ネットワークロボットの定義-
2章:ネットワークロボットをつなげる技術 -異機種を連携させるためのプラットフォーム技術-
3章:ネットワークロボットで環境を認識する技術
4章:ネットワークロボットの仲間たち
5章:ネットワークロボットの実証実験
6章:ネットワークロボットの標準化
7章:人物を認識することの法的問題点
8章:ネットワークロボット -僕は見てはいけないの?-
9章:ネットワークロボット -僕は安全だよ-

2007年11 月20日 (火) | 個別ページ

「アンドロイドサイエンス 人間を知るためのロボット研究」

Photo ●石黒 浩 著
●毎日コミュニケーションズ
●320ページ
●A5判
●http://book.mycom.co.jp/


 本書の著者である石黒浩氏は、世界的に注目を集めるロボット研究者である。また、コミュニケーションロボット「ロボビー」や、人間そっくりなロボット「リプリー」の生みの親でもある。

 本書では、これまでの研究開発の経緯や苦労話、成果などが語られている。これらは一貫して、「人間らしいロボットとは何か?」「人間とは何か?」という強い探求心であふれている。

  著者は、これまで人間に限りなく近い外見を追求してきた。ヒューマノイドの開発に始まり、実在の人間に酷似したアンドロイド、自身の姿に生き写しのジェミノイドの完成に至る。
 人は人に近い外見のものに親近感を抱く。したがって、人とコミュニケーションをするロボットは人型であるべきという考えによるものである。

 ただし、著者の探求は外見にとどまらない。
 認知科学や心理学、脳科学など他の学問も取り入れて、人らしい振る舞いや仕草も追い求めている。

 例えば、「ロボビー」がポスターを指さし、それを人が見るかどうかという実験では、認知科学や心理学的な見地から実証を試みている。
 ロボットが首や目をまったく動かさずに、「このポスター見てね!」と言ってポスターを指さすと、人はポスターではなく、ロボットを見てしまう。ところが、ロボットがポスターの方に首を向けてとお願いをすると、多くの人はロボットの腕の先を見るという。
 人にポスターを見るというアクションを起こさせるには、まずロボットが人の顔を見て、ポスターを見ながらポスターを指さす。そして再度、人の顔を見る必要があるのだという。

  また同様に、他の学問から考察することで、人間とそっくりであるがゆえに見られる、静止時の不自然さ、不気味さにも挑んでいる。顔の表情の駆動に用いている空気圧アクチュエータは、脳科学から検証することで微調整を重ねつつ、身体の揺れや呼吸など細かな動きを再現できるものにしている。

 かつて、ルネサンス期に活躍したレオナルド・ダ・ヴィンチやその時代の科学者は哲学者であり、また芸術家、数学者、医学者でもあった。同様に研究者は、すべてにおいて研究者であり、分野を限定すべきではないと主張する。上記の成果は、こうした姿勢によるものなのだろう。

 さらに、工学、医学、芸術などあらゆる活動の根本には、人間を理解しようとする姿勢があるとも主張する。
 ロボットの研究もまた人間の研究であり、筆者が提唱する「アンドロイドサイエンス」は、アンドロイド工学と、人間理解の科学の融合と解釈されよう。

  本書では、頭蓋骨を計測するために、筆者自らがMRIで頭を撮影したが、「自分の頭の中に本当に脳があるのか?」と、不安に駆られたエピソードが紹介されている。
 人は自分自身の中身さえも知らないということなのだろう。
 そう、人はまだ人を知り得ていないのである。
 
 筆者の研究成果が今後、どのように花開くのか? また、人間の理解に辿り着けるのか? そんな興味を抱かずにはいられない。

おもな目次
1章 人間とロボット
   人間とは何か/情報化社会とロボット/未来社会とロボット

2章 視覚と認識
   絵画と認識/視覚情報認識機能はなぜ実現できない?/能動視覚と全方位視覚 

3章 人間と関わるロボット
   誘導から相互作用へ/知覚情報基盤/分散認知

4章 実社会での実証実験
   小学校実験/科学館実験/駅実験/日常的に活動するロボット

5章 人間らしさの研究
   見かけと動作/子供アンドロイド/成人アンドロイド/アンドロイドサイエンス/アンドロイドの実用と限界
6章 人間の存在に関する研究
   遠隔操作型ロボット/遠隔操作型アンドロイド/自然な対話/哲学的問題/ジェミノイドの実用

7章 人と融合するロボット
   より人間に近づくための研究/人とロボットの違い/ロボットと人間の将来

2007年10 月17日 (水) | 個別ページ

「2112年9月3日、ドラえもんは本当に誕生する!」

Dora ●桜井 進 著
●ソフトバンク新書
●206ページ
●新書版
●http://www.sbcr.jp/books/


  「国民的アニメキャラクター」と表現してもよい『ドラえもん』。
 2112年9月3日に誕生するらしい。まだまだ先の話ではあるが・・・。

 本書は、ドラえもんが4次元ポケットから取り出すアイテムについて、現代の科学技術や量子力学を踏まえて、その具現性を検証している。さらに、ドラえもんが誕生するまでを解説している。

 同マンガではアインシュタインの相対性理論や量子力学を、わかりやすい言葉で記述していると、指摘する筆者。子供の頃に見ていたマンガに、そんな高尚な内容が織り込まれていたことに驚かされると同時に、原作者である藤子・F・不二雄氏の博識に感心させられた。

  また本書では、第5章の「ドラえもんが課した人類への宿題とは」では、同マンガで登場する科学との付き合い方にも言及している。
 「『ドラえもん』がお腹のポケットから取り出す便利なアイテムに盛り込まれた科学、そして、その便利なアイテムは扱う者の意思によって、生活を便利にすることも、危険にさらすことにもなるのだと『ドラえもん』は言っているのだ」
 筆者は、そう強調する。

 確かに、日常生活に欠かせない電気の多くは原子力発電で供給され、われわれの生活を潤している。その反面、人類を滅ぼす核兵器に利用することができる。ドラえもんのエネルギーも、内部の原子力発電から供給されているが、彼に悪意のあるプログラムを施せば、核兵器の一種になる可能性だってある。
 テクノロジーをつくる者、使う者が正しく判断し、それと共存する。それが科学との正しい付き合い方なのだろう。そして、テクノロジーの集合体であり、科学の申し子と言えるロボットも然りである。

 2112年9月3日。われわれが科学とうまく付き合い、『ドラえもん』のようなロボットが人とともに生活している。そう考えたいし、科学ときちんと向き合うことの大切さに気付かされた。

おもな目次
プロローグ 『ドラえもん』は大人のための科学物語
第1章 ドラえもんは愛くるしいアインシュタインだった!
第2章 「量子力学」の進歩で、ドラえもんが現実化
第3章 サイエンスはテクノロジーの極みにあらず
第4章 『ドラえもん』は人生を教えてくれる教科書
第5章 ドラえもんが課した人類への宿題とは
ワクワクふろく 具現化したドラえもんグッズ 趣味の世界から最先端技術まで

2007年10 月 8日 (月) | 個別ページ

「ベクシル ~my Winding road~」

Photo ●谷崎 央佳 著/原作・監修 曽利文彦 
●小学館(ガガガ文庫)
●286ページ
●文庫版
●http://gagaga-lululu.jp/gagaga/(ガガガ文庫公式サイト)


 本書は、映画「ベクシル 2077日本鎖国」の小説版オリジナルストーリーである。
  舞台は2060年代のロサンゼルス(なお映画の舞台は2077年)人々はロボットと暮らしている。
 19歳の少女ベクシルは、米国特殊部隊SWORDの訓練生。卓越した任務遂行能力を持つものの、鼻っ柱が強く、スタンドプレイが過ぎるため教官たちの反感を買っている。そんな彼女の前に現れたのは、組織に奉ずることに価値を認める若き教官・レオン。相反する2人が追う事件の先に、ハイテク鎖国を実施し、国際社会から孤立した日本の影が立ちはだかるというストーリーである。彼女の成長を中心に展開されていく。

 作者の谷崎央佳氏は「海外ドラマと海外ミステリーが大好物」と公言するだけあり、スピード感溢れる描写に加え、暗号解読や謎に包まれた犯人、謎が謎を呼ぶ展開などミステリー小説の要素を取り入れている。本作がデビュー作となるそうだが、原作・監修の曽利文彦氏がつくり上げた世界観に、彼らなりの解釈を織り交ぜることでオリジナリティを与えることに成功している。

 映画のタイトルにあるように、日本の「ハイテク鎖国」が本書の世界観となっている。ロボット技術でリードしてきた日本が、技術規制を唱える国際協定に反発して国連を脱退。すべてをベールに包み、「悪の枢軸」となっている。そして、道徳や倫理観を無視したロボットの研究・開発に邁進している。

  現在、ロボット技術の発展は近い将来、さまざまな恩恵を与えてくれることが期待されている。本書でも、警備ロボットや公園監視用ロボットなどが登場し、人々の生活に利便性を与えている。しかし一方で、登場人物たちはアンドロイドやクローン技術などの危険性に触れ、テクノロジー偏重主義に対し警鐘を鳴らしている。
 「オサム・テヅカが危惧していたような機械に支配される時代になりつつある」
 そうレオンが呟くセリフが印象的だ。

  SF作品でありがちなテーマかもしれないが、改めて、道具を使いこなさせるかどうか、またロボットを使いこなせるかどうかは人に委ねられていることに気付かされる。
 今後、われわれがロボットとどのような関係を築くべきかという難問を考えるとき、本書で描かれている世界観は、“反面教師”として役立つように感じられた。
 

2007年9 月19日 (水) | 個別ページ

「ZOKUDAM」

Photo ●森 博嗣 著
●光文社
●309ページ
●A5判
●http://www.kobunsha.com/


 「え、私? 私が乗るんですか? このロボットに!?」
  主人公の1人であるロミ・品川は、なかば成り行きでロボットに搭乗することになる。

 ロミは、「スーパーロボットを操って敵を倒す」という、ロボット作品でありがちな人物設定で描かれていない。天真爛漫なアイドル的な子でもなければ、活発な子でもない。30代前半で、純粋だが素直に自己表現ができない女性である。黒古葉善蔵博士が率いる企業「ZOKUDAM」に所属し、指揮官のバーブ・斉藤と、新人で同僚のパイロットのケン・十河(20代)らとともに、怪物を倒すべくロボットに乗り込むことになる。

 一方、敵として登場する企業「TAIGON」は、怪物を飼育しているわけでも作っているわけでもない。ZOKUDAMと同様、秘密裏にロボットを所有している。メンバーには、敵ロボットのパイロットとして登場する永良野乃(こちらは10代で、可愛い)、技術設計者の揖斐純弥(20代後半~30代か)、彼女の祖父である木曽川大安博士の3名が所属し、彼女を中心に世界征服を目論んでいる。物語は、両陣営のストーリーが交互に絡みながら展開されている。

  この作品で描かれている世界観は、現実世界とさほど変わらないように思われる。ロボットが街中を闊歩しているわけでもないし、家の中に便利なロボットがいるわけでもない。
 また、ロミたちがロボットを自由自在に操っているようにイメージしてしまうが、むしろ、ロボットに振り回されているような印象を受ける。ZOKUDAM側のロミとケンは、操縦方法を学ぶために分厚い取扱説明書を読み続けるが、なかなか操縦には至らない。さらに修正された取扱説明書を読む・・・。この繰り返しになっている。それ以外にも、ロボットの扱いの難しさが各所で描かれている。

  われわれの世界と類似した世界なのに、なぜ、怪物と戦うロボットが用意されているのか? 本書のテーマと思われるのに作品中、明確な説明は一切なされていない。お互いの組織の存在を知っているという間柄が戦う状況となり、それぞれがロボットを所有し、“来るべき”ときに備えている・・・。そんな状況をうかがい知ることができる。

 本書をSFのイメージで読んでしまうと、少々がっかりするかもしれない。
 しかし、単純に恋愛活劇として読むと、なかなか楽しめる。
 ZOKUDAM側では、ロミがケンともっと親密になりたいのに、年齢差を気にして素直になれず、妙な妄想を繰り広げている。一方、TAIGONでは、永野が素直に表現にしているのに、揖斐にうまく伝わらないというジレンマが描かれている。それぞれの女性が男性に好意を抱いているが、年齢差があるためにうまく伝わらない。しかも、それぞれの男性が非常に鈍い、ということが巧みに描かれている。

  作品中、ロボットが登場するのが、その扱いの難しさが恋愛の難しさに輪をかけて、恋愛活劇としておもしろい作品に仕立て上げているように思われる。そんなロボットの登場のさせ方もあるものだと、その意外さに感心させられた。

おもな目次
Part1:For  fair  against  despair「絶望にあっても美のために」
Part2:Hardships  incident  to  justice「苦難は正義のために」
Part3:Running  into  trouble  expected「想定される困難のために」
Part4:Shaking  off  the  temptation「誘惑に打ち勝つために」
Part5:Consciousness  is  half  the  battle「自覚があれば勝ったも同然」

2007年9 月 3日 (月) | 個別ページ

「フィロソフィア・ロボティカ -人間に近づくロボットに近づく人間-」

Photo●櫻井 圭記 著
●毎日コミュニケーションズ
●228ページ
●A5判
●http://book.mycom.co.jp/


 「人間である私には、そもそもGhostがあるのか?・・・」
 アニメ「攻殻機動隊」(英語タイトル:The Ghost in the Shell)で、主人公の草薙素子が自身に問いかけるシーンである。

 同アニメでは、程度の差はあるが、登場する人のほとんどが電脳と義体を組み込まれ、半サイボーグ化している。そして、個々人がネットワークを介して接続されたサーバースペースが形成されており、電脳を使うことで外部の情報源や他人の電脳に侵入することができる。

 Ghostは、作品中では定義されていないが、1人ひとりの電脳の中に存在し、その人物特有のアイデンティティを与える「魂」と解釈されている。ゴーストのみは周囲にプログラム防壁が張り巡らされており、他者が入り込むことができない“聖域”となっている。
 半サイボーグ化(機械テクノロジープラス何かという存在と化)した人にとって、Ghostは自分を自分たらしめる拠り所であり、また、テクノロジーによって到達できない絶対領域として存在する。しかしながら、電脳空間に浮遊する抽象的な概念に、自分という存在の根拠を委ねるため、冒頭のような自問自答を繰り返すことになってしまう。

  本書は、同アニメの脚本を手がけた櫻井圭記氏の修士論文「他我を宿す条件~人間・ロボット間のコミュニケーションの行方~」をもとに、まとめたものである。その見解を生かして脚本を書いたのが、同アニメシリーズの「攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX」などであり、本書ではこれらの世界観を導入しつつ、人とロボットどの関係性をさらに踏み込んで追求している。

 論考に当たり、筆者は人称代名詞を巧みに用いて考察を進めている。
 例えば、携帯電話やパソコンに代表される、人の知覚や情報処理能力の志向作用を増大するテクノロジーを「一人称」。人の身体や感覚器官の延長線上ではなく他我の領域を拡大するロボットを「二人称」。そして、それらを支えるITを「三人称」と、それぞれ表現している。
 さらに、一人称の領域を拡大し、ITを取り込んだすえに辿り着く、ネットワークを介して他人と接続した状態を「四人称」と表現している。攻殻機動隊で描かれている世界観は、その究極の姿なのであろう。

 こうした状況では、自己の存在の根拠をGhostに委ねることになるが、その居心地の悪さは、冒頭の草薙素子の言葉から容易に想像される。そこで、拡張する自己に制限を加え、かつ自分の存在を意識させるための他者として、二人称となるロボットを開発しているのではと、筆者は指摘する。あえて他者性を認める言葉を命名した「AIBO」(相棒)はその例であり、周到に用意された可能性があるとも言う。
 また、その一方で、テクノロジーの進化によっても到達できないGhostを守るために、また探し出すためにロボットを開発しているフシがあることも提示している。ひと言で言えば、人らしさの探求だろう。

  考えてみれば近年、ロボット技術やユビキタス技術の進化はめざましく、われわれとそれを取り巻く環境との境界があいまいになりつつあるように思われる。環境やネットワークと融合し、あたかもわれわれ自身があたかも機械化、ロボット化していくような印象すら受けてしまう。本書のサブタイトルは、このような状態を指しているのだろう。

  本書で主張されたように、人が自身の存在をロボットから見出すようになるかどうかはわからない。しかし、テクノロジーの進化に伴って、人と機械テクノロジーあるいはロボットとの関係性が変化していることは間違いない。それを考えるうえで、本書で展開された人称代名詞による論考は従来にない切り口を与えてくれているし、また、新たなロボット研究の方向性を示してくれたと思われる。

おもな目次

SとFの狭間で

第1章 ロボットの立ち位置
1-1 人間に近づくロボット
1-2 ロボットの立ち位置
1-3 ロボットに近づく人間

第2章 ロボット(へ)の歩み寄り
2-1 「自我」の置換
2-2 会話する機械と会話すると・・・
2-3 身体がある場合

第3章 姿を消すロボット、残されたデルタ
3-1 四人称の可能性
3-2 サイボーグ化とユビキタス化
3-3 デルタに逃げ込むゴースト

付録 年表・ロボットとフィクションの関わり

理想と現実の隙間で

2007年8 月15日 (水) | 個別ページ

「オタクで女の子の国なモノづくり」

Photo ●川口 盛之介 著
●講談社
●237ページ
●A5判
●http://shop.kodansha.jp/bc/books/biz/keizai.html(講談社BIZ)


 4年ほど前、90年以上の“伝統と歴史”を誇るわが家が“新築の豪邸”に生まれ変わった。それに相応しい各種住宅設備が導入され、トイレにもスグレものが設置された。

 まずドアを開いて、中に足を踏み入れると、赤外線センサが反応して自動的に便器のフタが開く。そこに腰掛けると、すでに便座がほどよく暖まっている。特に寒い冬は、心地よいことは言うまでもない。用を足した後、仮に流し忘れても自動的に処理してくれるうえ、フタを閉じて、入る前の状態に戻る。その間、脱臭ファンが稼働してニオイを除去してくれるので、次に使用する家族またはお客さんに不快な思いをさせることはないし、ニオイを嗅がれて恥ずかしい思いをすることもない。
 「たかが田舎の一軒家に贅沢なトイレを設置したもんだ・・・」と、当時、半ばあきれてしまったことを今も憶えている。

  考えてみると、現在の日本の家庭には、このようなトイレは当たり前のように設置されるようになっている。しかし海外では、たとえ高級ホテルでも、このようなトイレにはなかなかお目にかからない。日本ならではの凝りに凝った、かつ繊細な配慮の行き届いた製品の1つと言える。

  本書は、このような日本ならでは製品から、それを生み出した日本人の価値観や習慣などの文化的な背景を探り出そうとしている。マドンナも感動した贅沢トイレや開封音の出ないナプキン、キラキラ光るマンガの瞳を模したヘッドライト、次世代新幹線「ファンタスティック」のフィギュアなどなど。
 上記のように、利用者に恥ずかしい思いをさせないよう脱臭ファンを付加した背景には「恥ずかしいと思うセンス」、それも「女の子のような繊細な恥じらい感覚」があることを指摘している。このような価値観を「女の子な文化」と表現している。また、トイレの基本機能に関係ない、贅沢な機能を追求する心情を「オタク的」と言っている。そして、このような日本人特有の感受性を生かしたモノづくりの力を再認識し利用していくことが、わが国の産業競争力につながることを訴えかけている。

 筆者は、上記のような考察から、日本人のオタク性として10法則(目次参照)を導き出している。そして、わが国で2足歩行ロボットが盛んに開発されている背景に、「擬人化が好き」「個人カスタマイズを志向する」という心情があることを教えてくれる。その一方で、現状のロボット開発はこれらしか利用できていない、いや、そうした特性に甘えた開発に終始している結果、ロボットビジネスが成立しないことにも、それとなく気付かせてくれる。

 RTとその他の8法則をうまく組み合わせてやれば、従来にない経済価値を持つビジネスが生まれるかもしれない。そんなヒントがちりばめられた書であり、期待を持たせてくれる。

おもな目次
第1章 女の子っぽく、子供っぽい日本製品
1.「贅沢すぎるほどの便利」を追求する気質
2.マシンを簡単にパートナーにする日本人

第2章 日本製品のオタク性・10の法則
法則1 擬人化が好き
法則2 個人カスタマイズを志向する
法則3 人を病みつきにさせる
法則4 寸止めを狙う
法則5 かすがいの働きをする
法則6 「恥ずかしさ」への対策になる
法則7 健康長寿を追求する
法則8 生活の劇場かを目指す
法則9 地球環境を思いやる
法則10 ダウンサイジングを図る

第3章 「女の子な日本」の正体
1.「女の子っぽさ」「子供っぽさ」とは何か
2.コンピュータ的な脳で「風流」を感じる日本人
3.「オタク的モノづくり」が日本の未来を拓く

2007年8 月 1日 (水) | 個別ページ

「中小企業はこう生き残れ!! ロボットおやじの“ものづくり魂”」

Photo_2 ●赤澤 洋平 著
●出版文化社
●222ページ
●A5判
●http://www.shuppanbunka.com/


 最近は、ホビーロボットも高度に進化し、滑らかなモーションができるものが増えている。中でも、注目を集めているのが、「PLEN」というデスクトップタイプのロボットである。「ローラスケートやスケードボードを乗りこなす白いロボット」と言えば、ピントくる方が多いだろう。動画共有サイト「YouTube」に投稿されており、そこでも話題となっている。

 このロボットの特徴は、とにかくバランスが良いいことである。「ジャイロを搭載しているのだろう」と思いきや、そうした類のものを一切搭載していない。「各部品の公差をきちんと管理し、精度良く仕上げた結果」と、開発した筆者は何事もないように話す。
 確かに、ホビーメーカーが供給するロボットは1つひとつのパーツの仕上げが甘い。組立時にねじ穴を広げたり削ったりといった摺り合わせ的な作業をしないと、組み上げることができない場合がある。結果、制御ポイントにズレが生じ、うまくバランスがとれなくなる。こうした事情を考えると、モノづくり企業が本気で開発すれば、こうも良いロボットができてしまうのだと、感心せずにはいられない。

 ロボカップ世界大会で四連覇を達成した「Team OSAKA」の初代監督として、また、関西地域のロボット開発の牽引役として、ロボットという話題で注目される筆者。本書で力点を置かれているのはロボットの開発ではなく、モノづくり企業としての誇りと責任である。ロボットを振興するのであれば、身をもってロボットを理解すべきという思いからPLENを開発し、また、その修理工場が必要になるという考えからロボットクリニックを開設したエピソードなどが明かされている。
 同社はYS-11が就航した約40年間、専用部品を供給し続けたという実績を持つが、こうしたモノづくり企業としての責務を全うするという考えを、ロボットづくりにも継承していることをうかがい知ることができる。

  「中小企業はこう生き残れ!!」というサブタイルがついているが、モノづくりに真摯に取り組み続ける姿勢こそが道を切り開く。そんな当たり前のことを気付かせてくれる書である。経営に行き詰まっているという中小のモノづくり企業の経営者に購読をオススメしたい。必ず元気をもらえるはずである。

おもな目次
第一章 鉄工所がロボットづくりの原点だった
第二章 ピンチのなかにこそチャンスの芽がある
第三章 「下請け」から「横請け」へ
第四章 中小企業がなければロボットができない
第五章 「Team OSAKA」は毎日がドラマだ
第六章 勝たなくてもいいロボットづくりが始まった
第七章 未来のロボットは人の気持ちがわかるはず
第八章 中小企業はこう生き残れ!!

2007年7 月30日 (月) | 個別ページ

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